SSS(スーパーサラリーマン佐藤)

(今日はいい天気だ。)
そこそこ高いビルが建ち並ぶ街中。その街の中の一つのビルの中の一つの会社の中の一つの部署の中の一つの椅子に座っている中年男性は窓の外から入ってくる光を見てそう思った。その天気のよさに思わず笑みを浮かべる彼の元に一人の社員がやって来た。
「佐藤課長、次の企画案が出来ました。」
そう言って社員は分厚い書類の束を渡す。佐藤はそれを両手で受け取って、ページを慎重にめくりながら、細めた目でじっと見る。全てに目を通した後、少しの間を空けてから佐藤はにこっと笑った。
「いいね田中君。よく出来ているよ。次の企画はこれで行こう。よく頑張ったね。」
「あ、ありがとうございます!」


(今夜はいい月夜だ。)
そこそこ高いビルが建ち並ぶ街中。街灯とネオンサインに照らされた歩道を佐藤は歩いていた。人通りはそんなに多くなく、目に映る人々は皆、家路を急いでいた。その時、前方から懸命に走って来る男がいた。その男は頻繁に後ろを見ては必死に走る。何かに追われているようだ。スピードは全然出ていない。長い時間、長い距離を走って疲れているからだろうか。足取りもおぼつかない。
「おい、君!」
佐藤が声を掛けたのとほぼ同時にその男は地面に倒れこんだ。彼を起こそうと駆け寄った佐藤は、その男の背後にいた大きな犬に飛び掛かられた。
「うわっ!」
佐藤は飛び掛かる犬を振り払おうとしたが、その時にはもう犬はいなかった。佐藤ははっと我に返って倒れた男に声を掛けた。
「君、大丈夫か?怪我はないか?大丈夫だ、犬はどこかに行ったよ。立てるか?どこか落ち着けるところに行こう。そうだ、あそこの居酒屋がいい。さあ行こう。さあ行こう。」
男は言われるままに佐藤の肩を借りつつ居酒屋に入った。カウンター席に着いた佐藤は安心させるような口調で言った。
「やあやあ君も大変だったね。あんな大きな犬に追いかけられたら誰だって怖いよ。」
男は取り敢えず呼吸を整えたが、精神の方はまだ落ち着いていなかった。
「も、申し訳ありません、いや、本当に、何と言ったらいいのか、えっとですね、えっと…。」
佐藤は男の肩を軽く叩きながら言った。
「大丈夫、大丈夫だよ。まずは深呼吸しよう。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー。どうだい?少し落ち着いただろう。」
「え、ええ、済みません。本当に。」
「そうだ、のどが渇いただろう。生中でいいかい?」
「あ、はい。」
すぐにお酒が運ばれて来た。二人はそれをあおった。

それからしばらく二人はお酒を飲み交わした。ほどほどにお酒の酔いが回ってきた辺りで、その丸い顔が赤くなった佐藤が口を開いた。
「…犬かぁ、実は僕、犬にはある思い出があるんだよ。」
佐藤はお酒をちびちび飲みながら話し始めた。
「昔ね、僕がまだ学生で、ボロアパートで一人暮らしをしてた時があったんだ。本当にボロアパートだったね、安いだけはあったよ。それでね、ある日アパートの前に子犬がいたんだよ。本当に小さかったね。近くに親や飼い主はいなくて、捨て犬か、迷子か。とにかくこのままじゃ死んじゃう、と思ったね。でも、そのアパートはペット禁止だった。迷ったね、本当に迷った。僕は臆病だから連れて帰る勇気はなかったけど、見捨てる勇気もなかった。だから、アパートの茂みに連れて行って、こっそり牛乳をあげて小さな満足感に浸ってたんだ、自分は命を救ったってね。」
隣の男は黙ってお酒を飲む。
「それから少しして保健所の人が来たんだ。誰かが子犬を見つけてしまったんだろうね。僕がバイト先から帰って来た時、ちょうど連れて行かれるところだったんだ。迷ったね、本当に迷った。声を上げるべきかどうか。でも、僕は臆病だから、連れて行かれるのを黙って見てたんだ。それで、終わり。」
佐藤はお酒を飲み干した。
「僕は、もし、神様が願いを叶えてくれるんだったらあいつに謝りたいね、面と向かって。ごめんって、ごめんって言わなきゃいけなかったんだ。」
突然、隣の男が泣き出した。わんわん泣き出した。
「ごめんよぉ!ごめんよぉ!」
男はしばらく泣き続けた後、眠ってしまった。佐藤は眠っている男の分の酒代も払うと、小さな紙に電話番号を書き付けて店主に渡した。
「電話して彼の家族を呼んでやって下さい。」
店主は無言で紙を受け取った。

佐藤は店を出てから携帯電話を取り出し、自分の家に電話を掛けた。
「もしもし?一輝(かずき)かい?ごめんよ、仕事が長引いちゃってね。今から帰るよ。母さんは?」
佐藤は息子と他愛もない話をしながら、ふと夜空を見上げた。
(今夜は本当にいい月夜だ。もう犬は出ないだろう。ああ、いい月夜だ。)
月明かりに照らされた夜道の奥、ほんのり見える家の明かりを目指して、彼は家路につく。

SSS――
Supernatural-power
Salaried-workers
Satou
――(さとりのサラリーマン佐藤)

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