微笑み(前編)

 僕はあのことを一生忘れられない、という妙な確信を持っている。小学生の時に転校してきた女の子、白木(しらき)さんのことだ。透き通る声と白くたなびく髪、聡明な頭脳と優しい心を持つ僕の初恋の人。第一印象で既に惹かれていたがそれ以上に、今までクラスで一番の物知りだった(と思い込んでいた)僕よりもたくさんのことを知っていたことがそれに拍車を掛けた。白木さんの知識の量と質に感銘を受けたのだ。今から思えばだが、この時に一歩間違っていれば白木さんを妬み、自らの地位の挽回に青春を浪費していたかもしれない。
 僕は白木さんに夢中だった。尊敬、崇拝に近いことをしていた時期もあったかもしれない。中学生になっても白木さんとは同じ学校でいられた。白木さんの周りには不思議と様々なタイプの人が集まってくる。無口だけど推理力抜群の彼女も、臆病だけど鋭い意見を言う彼も、真面目だけどとっつきにくい彼女も、おっとりで天然な彼女も、札付きの悪として恐れられていた彼も。そして、いつの間にか白木軍団とも呼べる集団を形成していた。もちろん僕もそのメンバーの一人である。
 クラスでの問題に取り組んだこともあったし、白木さんの家でバーベキューパーティをしたこともあった。皆で旅行に行ったこともあったし、本気で喧嘩したこともあった。勉強会を開いたこともあったし、ボランティアで街の清掃活動をしたこともあった。勢いで書初め大会に全員で参加したこともあったし、原っぱで寝そべりながらどうでもいいことを延々と喋り続けたこともあった。今から思い返すと本当に青春を謳歌していた。おそらく、これほどまでに恵まれて充実した日々を過ごせたのは奇跡以外の何ものでもない。普通ならばどんなに手を伸ばしても背伸びをしても手の爪の先すらも届かないぐらいのところにある理想の中の理想を体現していたように思う。ただ、あの時はそんな日々が当たり前だったというか、その日その日を全力で生きていたのでそんなことをあまり意識しなかった。いや、むしろ意識したくなかった。もし、これが特別な日々だとしたら、特別じゃなくなる日が来るかもしれない。この楽しい日々が終わってしまうかもしれない。僕はこれが日常であり続けることを心の底で強く望んでいた。
 しかし、中学三年生になって進路に向けて考える時期が来ると、それぞれの進む道が本当にバラバラだということを意識せざるを得なくなってきた。それはこの日常の終焉が近いことを僕に何度も何度も告げた。僕はこの日常が終わることが恐ろしかった。もっと言えば白木さんと離ればなれになることが恐ろしかった。僕の本当の思いを伝えずして離ればなれになるのが恐ろしかった。白木さんの中で、僕が単なるかつての友達の一人になることが恐ろしかった。受ける高校が白木さんと別だということが確定してから、その恐怖はさらに加速した。この時、白木さんと同じ高校を受けるという選択肢はなかった。出願の期限の問題もあるし、一方だけが受かるということも考えられるし、何より自身の将来的な目標があった。それに白木さんならこう言っただろう。
『高校が違ってもいつでも会えます。だから、自分の受けたい高校を受けることが一番いいと思います。』
 卒業式の放課後、僕は白木さんを校舎裏の桜の木の下に呼び出した。白木軍団の一員である一組のカップルがここで誕生したことにゲンを担いでみたのだ。結果として僕は振られた。しかし、気持ちはどこか吹っ切れて、爽やかだった。ただ単に気持ちを伝えたかっただけなのか、それとも白木さんの人柄と断り方の成せる技なのかは分からないが。
 その告白の甲斐があってか、高校入学後一ヶ月ほど経った時に白木さんから手紙が届いた。内容は今の高校生活が充実していること、新しい友達が何人も出来たこと、その友達の一人がフードファイトに参加して優勝したことなど。その手紙に返信する形で白木さんとの手紙のやり取りが始まった。数ヶ月に一通程度だったがその内容はとても濃密だった。白木さんの手紙は僕もその場にいて一緒に出来事を楽しんでいるような気分を味あわせてくれた。文通と言えば何だか恋人みたいだが、あくまで親友同士のやり取りだった。僕の初恋はまるでタイムカプセルに入っているかのように決してなくなりはしなかったが、それが膨らむこともなかった。そして、これから何十年先もそうであるような気がしていた。
 高校三年生の時、白木さんから最後の手紙が来た。

『一輝君へ。
 私は遠くから来たことを知りました。そして遠くへ行きます。また会えるのか、もう一度戻れるのか、分からないことが多すぎて言葉に詰まります。分かっているのは私の助けを必要としている人々がいるということだけです。いつかまた皆で集まって遊びたいです。
 最後に、私に告白してくれてありがとう。すごく嬉しかった。』

 この手紙を受け取った時、僕はとてつもない衝撃を受けた。何か大変なことが白木さんの身に降りかかっている気がしてならなかった。白木さんは少なくとも僕が見ていた限りでは「分からない」などという言葉を使ったことはなかった。どんな難問どんな難題があっても何かしらの答えなり結論なり予測なりを出していた。降りかかった問題は、あの白木さんに分からないと言わせるほど大きな問題なのだ。また、白木さんは「遊びたい」などという希望をただ述べるだけの性格ではなかった。したいことがあれば「やりましょう」と動き出すタイプの人間だった。僕は今すぐに白木さんに直接会いたいと思った。僕に何が出来るのか分からなかったが、気が付いたらその手紙を持って白木さんの住所に向かっていた。白木さんは高校入学とほぼ同時に引っ越したので、住所はかなり遠かったがそんなことはどうでもよかった。
 手紙にあった住所に到着したが白木さんはいなかった。近所の人に聞くと一週間ぐらい前に引っ越して、行き先は知らないとのことだった。僕はその足で白木さんが通う高校に行った。白木さんの知り合いだと言うと校長先生が出て、丁寧に対応してくれた。本来なら高校側には守秘義務があるが、白木さんからもらった手紙を見せて、友人だということで特別に教えてもらった。結論から言えば白木さんが具体的にどこに行ったのかも、連絡の方法も分からない。白木さんは高校にも詳しいことを伝えてはいなかった。ただ、自分のルーツがある国が危機に瀕していて、白木さんはその国で困っている人々を助けに行った、ということだけは分かった。話によると白木さんの決心は固く、自身で納得して行ったとのことだった。僕は僅かな可能性に賭けて、白木さんを知っている友人、知人全員に連絡を取ったが白木さんがどこに行ったのか知る者はいなかった。僕の白木さん捜しはここで止まってしまった。

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この記事へのコメント

2012年05月06日 21:23
過ぎ去っていった日々。
“最後の手紙”というあたりが、もう会えないんだということを如実に語ってしまっている・・・。
大人になるステップとして、甘酸っぱい青春に別れを告げることになる。そんな切ない心情が伝わってきます。

普通ならどんなに手を伸ばしても届かない理想の中の理想。本当にその通りだと思います。
いつから社会は、こんな体験が普通では味わえないようになってしまったのか。そう思うと悲しくなってきます。
せめて人並みの心を手に入れたかった。普通なら平気なことにも深く傷ついてしまう度に、そう思います。
2012年05月07日 20:46
>アッキーさん
過去は起こった出来事そのものであり、変えることは出来ません。一輝君にも大人になる時間がやってきたようです。

ああ、私もこんな青春してみたかった…という思いをそのまま投影したような一輝君の青春時代。私も…私も…
パルナ「はくりゅー落ち着いて。こんな時こそ深呼吸だよ。」
失礼。
私が思う理想の青春は現実的でないのか、それとも社会や時代が変わったのか、それは分かりません。悲しみを感じるのは人の心としては正常だと思いますが、それが大き過ぎれば心が押し潰れる。今はただ、アッキーさんの傷が癒えることを願います。

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