人形と女

お兄ちゃんがいれば、私は何もいらない。何も望まない。何の地位もいらないし、どれだけのお金も要らない。

でも。

お兄ちゃんは                          いない。
        その日、代わりに『来』た人形が『居』るだけ。

何を望むか、何を願うか。
何も見えない。何をしたいのか分からない。空っぽだと思ってた。

心は空っぽで    空っぽで   何もないと   思い込んでいた。

あった。それを聞いた瞬間、あるのを確信した。


貴族が平民を殺しても罪に問われないのは常識だ。復讐なんて無理な話というのは常識だ。でも、誰が殺したかというのが分かるのも『常識』だ。人が見ているのだから。

殺す。ただ、それだけだった。頭の中にあった思いはそれだけだった。憎かった。心の全てを満たしてもまだ溢れたる感情は、声になり、叫びになり、吐血になった。

私は『幸せな時間』を止めるために人形を売った。その金で偽りの自分を作った。そして、ある貴族のメイドとして働くことになった。

たかだか十八年でいつでも殺せる状態になった。メイド長になり、屋敷の全てを任されていた。十八年経っても世界は何一つ変わらない。殺す者、殺される者、許される者、許されない者。巷では、また殺人鬼が出て警察はそれを捕まえるために全力を注いでいる。でも、この屋敷に警察が来たことはない。

その日、準備を整えてから、人形を買い戻した。取り戻す。本当に取り戻したいものはどうしても取り戻せないから、代わりに人形を取り戻した。明日の昼には家に届いているはずだ。

お兄ちゃんを殺した貴族の男の食事に睡眠効果のあるハーブを混ぜた。

お兄ちゃんは馬車に轢かれて殺された。では馬車が悪いのか。いや、馬車は馬に運ばれただけ。
馬車は馬に運ばれてお兄ちゃんを殺した。では馬が悪いのか。いや、馬は運転手に鞭打たれただけ。
馬は運転手に鞭打たれてお兄ちゃんを殺した。では運転手が悪いのか。

いや、運転手は命令されただけ。二度轢けと命令されただけ。命令したのはこの男。貴族のこの男。そう聞いた。
元凶はこいつ。こいつがお兄ちゃんの殺した真犯人だ。殺すならまず、こいつから。一番に死ぬべきはこいつだ。

眠った貴族の男をメイドの仕事でもって、寝室に運ぶ。手足を縛って逃げられないようにし、口を縛って助けを呼べないようにした。そして、あの日のことを思い出す。お兄ちゃんを殺した犯人のことを聞いたあの日を。

殴った。渾身の力を込めて殴った。自分の中の感情を吐き出す代わりに殴った。自分の仲のそれが無くなるまで殴った。何度も、何度も、我を忘れて殴った。何百回殴っただろう。自分の手が壊れた。気が付いたら貴族の男は死んでいた。殺すだけならナイフで一突きだったが、どうしても『この手』で殺したかった。

全てを吐き出して、残ったのはやっぱり空っぽの心。何もない、虚しい人生、そう思った次の瞬間、心にあの人形のことが浮かんだ。お兄ちゃんの代わりに来た人形。お兄ちゃんの帰りを一緒に待った人形。お兄ちゃんの死を理解出来なかった時も一緒にいた人形。お兄ちゃんの死の真相を聞いた時も一緒にいた人形。あの男を殺すために手放した人形。
それが明日、戻って来る。
そうだ、もう一度『幸せな時間』を過ごそう。お兄ちゃん、お兄ちゃん、『お兄ちゃん』と一緒に。

屋敷に招かれざる客が来た。警察が来るには早過ぎるとは思ったら、何のことはなかった。巷を騒がしている殺人鬼だった。

「このメイドのスナオ、お相手をするのは当然の務めにございます。」

結局、次の日のニュースは『殺人鬼が貴族の男を殺した』ことが前面で、私が死んだことは一行で書かれただけだった。警察は更に躍起になって犯人を追っているようだ。

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この記事へのコメント

2012年09月09日 01:26
あのときの“妹”が、ドールのスナオ!
こんな繋がりが・・・。

復讐を果たして心が空っぽになれるというのは、なかなか羨ましいものです。その後に心を幸せで埋めることが出来たのなら猶更・・・。
最後もカッコ良くて、こんな死に方が出来たら素敵だろうなぁと思わされます。歴史に名を残さなくても、最後まで筋を通して死ぬ。憧れますね。
とはいえ私は痛いのは恐いので、実際問題、とても無理ですが・・・。
2012年09月09日 12:04
>アッキーさん
こっそり話がつながっています。基本的に全て『同じ』世界での出来事ですので。話やキャラや時間をつなげるのは楽しいです。

復讐は何も生まないのか、復讐の果てに意味はあるのか、復讐して心は救われるのか。私には分かりません。ただ、復讐を果たせなかった場合、恨みはどこへ行くのでしょうか。
ある意味、人生における大きな目的を果たしたスナオ。最後は殺人鬼と真正面から対決して死にました。
実際には無理でもこんな風になら死んでもいいかな、とか思うこともあります。死ぬ時も前のめりで死にたいとか、死ぬ時は畳の上で死にたいとか、人によってその信念によって様々ですが。
2012年09月10日 18:10
映画やドラマで娘を殺された父親が犯人に復讐する。たいがい寸前で刑事に止められるクライマックスですが、復讐は良くないと思いながらも、復讐を遂げる結末を応援する自分を発見し、焦ります。
情状酌量の余地というのは、高度な法律だと感じます。
貴族の殺人はノーマーク。今もあまり変わっていません。政治で社会を変えられると思うのは政治家の傲慢。政治家に託す国民も無責任。
権限を政治家には渡さん。自分で変えるというのが基本精神だと思います。その途上で旅立っても悔いはないのかもしれません。
2012年09月10日 21:43
>ブラックホークさん
目には目を、歯には歯を、殺人には殺人を。復讐というのは、おそらくは仇を討たんとする本人にとっては実行するべき人生の課題にすり変わっているもの。しかし、一方で殺人は殺人、してはいけないことである、という考え方も一本、筋が通っているようにも思います。すごく難しい問題で、復讐者ではない自分は、殺人は駄目だというけど、実際に大切な人を殺されたら…。その二つの葛藤の果てに、情状酌量の余地というのが生まれた気がします。
権力者とそうでない者とでは同じことをしても、結果が違う場合がよくあります。時代劇で武士が町人を斬り殺しても罪には問われないけど、町人は武士に無礼な態度を取るだけで問答無用で首が飛ぶ。普通の人なら何でもないことでも、政治家がやると影響力の関係で殺人に等しいような事柄もあったりします。権力は力、その力には責任が伴う。そして、国民主権であるならば、我々は政治家がちゃんとやっているか見張る必要があるし、ちゃんとしていなければ権力を取り上げる必要がありますね。

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