2017年2月7日

2017年2月7日

ドアを開けると、そこには翼ちゃんがいた。

「白龍さん、そろそろ来る頃だと思っていましたよ。」

白いテーブルの上には紅茶セット。椅子は私と翼ちゃんの二人分が用意されている。私はにょろりと体を動かして椅子に座った。翼ちゃんが丁度いい温度の紅茶を入れてくれた。

「第一歩、おめでとうございます。」

ありがとう。ルビデに焚き付けられただけかもしれないけど。

「行動出来ていることが大切なんですよ。行動出来るまでに白龍さんが回復した証拠ですから。」

翼ちゃんは紅茶を一口すすった。

「機が熟した時にきっかけがあれば人は動き出せる。ルビデさんも中々にタイミングを見計らうのがお上手で。」

確かに。

「それで、どうですか?小説を書き始めた頃の気持ちは思い出せましたか?」

少しずつは。しかし、あの頃、私は本当に一人だったのだろうか。今から思えば、一人ではなかった。いや、当時はそれに気が付かなかっただけなのかもしれない。

「『人は自分が持っているものの価値に気が付きにくい。それに気が付いた時は大抵、失った後である。』白龍さんがよく口にする言葉ですね。」

ははは。確かに。

「『幸せは探すものではなく、感じるものだ。』という言葉があります。すぐ近くにあってもそれに気が付かなければその人にとっては無いも同然かもしれませんね。」

また、比べる対象がなければそれが幸せなのかどうなのかすらも分からない。

「白龍さんが高校生だった頃に比べれば、今の白龍さんは色々なものを見たり聞いたり感じたりしてますからね。」

そうだね。

「言葉の引用ついでにもう一つ。『朝、目が覚めて最初に小説のことを考えていたら、あなたは小説家になるべきだ。』」

朝起きて、最初に、か…。

「まあ、白龍さんの場合は大体が仕事のことですけどね。」

ということは今の仕事はある意味では天職、か。

「楽しいことばかりではないでしょうが、やりがいもそれ相応に感じているのではないでしょうか。」

ふむ…。

「ただ、電車を待つ時間は小説のことばかり考えていますよね。」

確かに。ただ、あれはテレビを見るような感覚なんですけどね。頭の中で付けたテレビの向こう側で自分が作ったキャラクターが勝手にあれやこれやとドラマを演じる。感覚としては不思議なんですよね。そのキャラクターも展開も、自分自身が作り出しているというのに、まるで勝手に生まれてくるようにストーリーが進んでいく。

「キャラクターを生み出したのは白龍さんですが、その設定によって動き回っているのはキャラクター本人ですから。ラジコンのスイッチを押しっぱなしにしたら、そのラジコンがどう動くのかまではその時にならないと分からないみたいな感じでしょうか。」

ふむ…。

「そうして生まれたストーリーを文字という形で綴る。それが気が付けば小説という体を成している。」

うん、そう。どこからともなくストーリーやアイデアが降りてくる感じ。

「そして、それらは書かなければ忘れてしまう訳です。」

…ああ、それ。それだ。間違いない。思い出した。私が小説を書き始めた一番の原動力はそれだ。忘れることへの恐怖だ。私は怖いんだ。忘れること、失うこと、無くなってしまうこと。
人間は忘れる生き物だ。忘れることでいいこともある。でも私は、ずっと覚えていたい。楽しかったこと、面白かったもの、高まる高揚感、突き抜ける達成感、それらをずっと覚えていたい。だから書くんだ。書いたものを読めば、それを思い出すことが出来る。その時に何を考えていたのかを思い出すことが出来る。
無くなってしまえば何にもならない。何かを考えていたということも忘れて生きていくことになる。でも、人間というのは思ったほど綺麗に忘れることが出来ない。あの時、何か楽しいことを考えていたはずだということだけが頭の中に残って、どうにもすっきりしないことがある。書かないと忘れる。忘れるのは怖い。そして、そんな恐怖すらも私は忘れていたんだ。
怖っ…。

「思い出せたようですね、小説を書き始めた最初の気持ちを。」

何で今まで忘れてたんだろう。あんなに強い気持ちだったのに。

「人間はずっと恐怖と向き合い続けられるほど強くはないでしょう。だから忘れる。『こんな世知辛い世の中だ、飲むか寝るかして過ごせばよかろう。』それもまた一つの形なのかもしれませんね。」

けれども思い出した。忘れたくないという想いを。思い出したからには今のままじゃいられない。思い出したということはそれに向き合う準備が整ったということだ。ルビデが言っていたように、一人ではなくなった私はぬるま湯に浸かっているようなものだったんだ。誰かがずっといてくれるという錯覚のような安心感のために失う恐怖を感じずにいられたんだ。
だから書く必要がなくなって、書かなくなってたのか。でも、書かなくちゃいけない。忘れないために。自分自身が感じた、大切な気持ちだから。

「ただ、忘れていたのは恐怖に代わるものが少なからずあったからではないでしょうか。」

そうだね。書き始めて筆が乗ってくると、書くこと自体が楽しくなってくる。書いているのは自分自身なのに次がどんな展開になるのかワクワクしながら書いてた。
それに、人は誰かがいるから頑張れるってこともあると思う。私が小説をブログという形で発表し始めて、色々な人に読んでもらって、感想ももらった。繋がりや達成感もたくさんあった。一人では感じることが出来なかった喜びがあった。ただ、これの持続は結構難しいんだけどね…。

「人との繋がりは切れる時もある。恐怖の方はどれだけ切ろうとしても勝手にやってきますからね。」

そうだね。でも、誰かが見ている、誰かが読んでくれるというのは、一つ書くための大きな原動力だ。

「そうですね。是非、これからも書き続けて発信し続けて頂ければ、と思います。ただ、書かないと失われるという恐怖は0にはなりません。」

そうだね。でも、それもまた書く原動力にしてしまえばいい。

「そういうことですね。よかった。白龍さんがようやくいつもの感じを取り戻せて。」

翼ちゃんはそう言って、紅茶を美味しそうにすすった。

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この記事へのコメント

2017年02月07日 23:55
創作に行き詰ったとき、自分の過去作を読み返すとモチベーションが回復することが多いです。
こんなこと書いていたのかと、忘れていたものを思い出し、けっこう私ってやるじゃん!と元気になってくる魔法。

ルビデの言ってることも正論で、「満たされたら書けなくなる」というのは本当だと思います。自分の中に渦巻いている不穏な飢餓感こそが、執筆の原動力。
それにしても「卒業」と言わず「中退」と言うあたりがルビデのセンスですね。これだから好きなんだ。
2017年02月09日 02:12
>アッキーさん
そうですね、過去の自分に元気をもらえるという、不思議なような面白い感覚。まさに魔法のような感じ。
ルビデは悪魔的な視点からドスンと矢を放ってくれる。満たされたいから、何かに飢えているからこそ必死になって書く。書くことで一時的に満たされるけれども、それがまたすぐに枯渇するからまた書く。小説家の全員がそうなのかは分かりませんが、次々に新作を書く人はまだまだ満足出来ていないということなのかもしれません。
物書きからの「中退」はまだまだしたくありませんね。

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